《南日本新聞 どげんけ!の記事より》

松延(まつのべ)哲也さん(47)と妻の美也子さん(49)が霧島市国分中央3丁目の路地裏で経営する串酒場「炭がいじん」=写真右。もともとブティックがあった跡に霧島商工会議所の空き店舗対策「トライアル事業」を活用して04年10月にオープンした。3年後には「居酒屋甲子園」で九州地区1位に。昨年12月には業界誌「日経レストラン」のメニューブックコンテストで日本一に輝いた。店のモットーは「お客さま目線で全て考える」(松延さん)ことという。 炭がいじん
「トライアル事業」は、開店から1年間、家賃の半額(上限・月5万円)を助成するが、3年間は営業することが条件。だが、松延さん夫婦の意気込みは半端ではなかった。手持ちのカネはほとんどなく、二つの金融機関から計1600万円借りる。東京在住の店舗プロジューサー上木草平さんとともに国分市街地を見て回り、適地を決めた。店舗設計も上木さんに頼んだという。路地裏のレトロ感、温かみを醸すたたずまいとなった。多額の投資をしての独立。40歳と42歳だった二人にとって大きな賭けだった。

哲也さんはそれまで順風満帆だったわけではない。熊本県人吉市出身。地元の工業高校を卒業後、大阪の健康食品会社に就職し3年間、四国を転々と営業して回り、北海道に転勤になって退職する。そのまま札幌市に居残り、水商売、建設作業員、ホテルなど転職を繰り返して9年間、30歳を迎えた。「そろそろ心を入れ替えよう」と思ったらしい。

炭がいじん
就職雑誌のUターン特集号で、霧島市溝辺町の霧島高原ビールが人を求めていることを知る。同社は鹿児島空港近くでチェコの街並みを再現したレストランなども持つ。人吉出身の哲也さんにとって鹿児島空港は身近な地元の空港だ。「Uターン」を決め、見事採用されると、地ビール、レストラン、営業など10年間、さまざまな体験をさせてもらい、会長秘書をしていた枕崎市出身の美也子さんと知り合う。 哲也さんは退職、上京して2カ月間、飲食店経営の勉強をする。店名は、六本木の焼肉店「フランス人」と、香川の日本酒メーカー「悦凱陣(よろこびがいじん)」をヒントに、「炭凱陣」と決める。「凱陣」は通常はひらがなで用いることにした。「何だろう?と気にかけてもらえれば」という狙いもあったらしい。

豊富な焼酎銘柄やトマトを豚バラで巻いた「トマト串」などで評判を呼び、経営に自信を深めた松延さん夫婦は、東京のNPO法人が主催する「第2回居酒屋甲子園」にエントリーする。一般客を装った覆面モニターによる採点の結果、「一番印象に残る店。雰囲気、料理、スタッフともに一流」と評価され、全国739店中15位、関西以南の西日本ブロックでは244店中6位、九州では1位となった。

炭がいじん
また昨年、「日経レストラン」が募集した第1回、メニューブックアワードでは、全国の53店中、見事1位に。絵心のある哲也さんのイラストや手書きの注文品人気ランキングなどのわかりやすさ、温かみが評価されたようだ。開店当時、路地の飲食店は炭がいじんが3店目で、目立たない通りだったが、今では8店舗、いい雰囲気の飲食横丁となっている=写真右上。炭がいじんが人を呼び、通りが活性化した、と霧島商工会議所もみている。 同商議所のトライアル事業は02年12月から始まり、これまでに20店舗を支援している。ちなみに同商議所によると、霧島市国分地区中心部の空き店舗率は17%(昨年6月現在)。鹿児島県内の他の主だった都市、鹿屋市中心部は42%、薩摩川内市中心部は20%(いずれも昨年6月現在、地元商議所調べ)だ。
2006年 第二回「居酒屋甲子園」九州・沖縄地区一位
2006年 南日本新聞『居酒屋甲子園九州1位』
2007年 キリンビール情報誌「ハバブー」掲載
2008年 「広報きりしま」掲載
2008年 第三回「居酒屋甲子園」鹿児島1位
2009年 姶良地区「退職校長会」総会にて講演
2009年 日経レストラン「DMコンテスト」ブランディング賞
2010年 日経レストラン「第一回メニューブックアワード」グランプリ
2010年 南日本新聞『メニューブック第一位』
2011年 商工会議所 ニュース きりしま掲載